私には持論がある。
プライドには、持って良いプライドと持ってはいけないプライドがある。

人は両方ともプライドと言うが、私は違う。
プライドとは、自分を奮い立たせるためだけに使うもの。
自分を守るために使うのはプライドとは言わない。
具体的に説明しよう。

職人が自分の技を磨くのは、過去の自分よりも成長しようと常に努力しているからである。
前回よりも今回の方が良い仕上がりにしたい。
その思いが継続しているから匠へと昇華出来るのである。
それは、自分自身に負けたくないという思い。
そう。常に自分自身との戦いなのである。
これは、マラソンなどの持久力を試されるスポーツなども同じ。
ここで走るのをやめるのは簡単だけど、それは自分自身に負けたのと同じだからやめない。
そういった思いが自分の原動力となるのである。
言わばプライドとは、信念であり力の源なのである。

他方、より良い仕上げが可能な方法があるにも関わらず、
自分が今までやってきた方法を固持しようとする姿勢の時に使うのも、プライドという言葉。
これは、プライドでも何でも無い。
田舎者がよくやる出る杭を打とうとする行為などもそうである。
人の意見を受け入れることを拒否する姿勢は、結果を重視しないことに繋がる。
人の意見など聞きたくないという思い。この時点で負けているのである。
結果とは、それまでの過去の努力が決めるのであって、
自身の願望で決まるものではない。
結果を出さずして更に良い結果は望めないのである。

プライドとは、自分を奮い立たせるためだけに使うもの。
自分を守るために使うのはプライドではない。